「新しい」ということ

YAKENA ISAO

2008年07月26日 09:11

新しいプロジェクトに取り組むとき、
何処か、何か「新しいこと」に挑戦したくなる。


「新しい事に挑戦する」


と、言うか今までにないものを創りだしたい、とか、
とにかく「今までと同じものは創りくない」そういう感じだろうか。


私たち設計者、クリエイターの価値は、設計、物創りを通じて、
建築に付加価値を与える事だと考えているので、
どうしても「今までと違うもの」を創りたくなる。


それはもう設計者の「本能」の様なものだと言ってもいいだろう。


しかし、いくら「新しい事」を求めたとしても、
それが新奇さを競うようなものではあってはいけないと思う。


一建築家のエゴや自己満足の創意だけで、
単純な目新しさや奇妙な形態や色で注目を集めたとしても、
それは一過性、一回性のもので、建築本来の真意、価値ではない。


物珍しさに、興味の対象として捉えられるだけで、
飽きられると誰も見向きもしなくなってしまう。


問題なのは飽きられること、
というよりも本質を捉えていない、と言う事だろう。



本質を捉えずに目新しさだけで、
勝負をするような設計者、クリエイターにはなりたくない。


しかし本質を捉えるということは、
今までずっと作り続けてきた建築たちから、
自然と炙り出されるようなもので、
つまるところ「新しいこと」はそんなになくなってしまう。


建築の本質は、いくら時代が変わっても、
多少材料や関係する法律が変わったとしても、
そんなに変化するものではないだろう。


つまり建築というのは変化のスピードがものすごくゆるやかで、
携帯電話や車のように、
季節ごとに新しいものを発表できたりするものではない。


消費の対象として建築を捉えると、
それらと比較してしまうけれど、
全く違う速度で建築はつくられていると言える。


では「新しいこと」は何もないのか?


と言われると、私は「ある」と答えたい。
そのよりどころは「建築は一品生産で全てが特殊解である」ということ。


建築は似たような条件で、似たようにつくられているようで、
実はそれぞれが少しずつでも条件が異なる。


異なる与条件で全く同じものは創られない、創れない。
その与条件の違いを徹底的に検証することで、
本質的でかつ「新しい事」が実現する建築を
生み出すことができると信じている。


だから僕たち設計者、クリエイターはどれだけ与条件の検証が、
徹底的にできるかどうかが大切なのだろうと思う。



目先の新奇さに囚われていては、
僕たち設計者、クリエイターは自分自身の価値を失ってしまうだろう。


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by YAKENA

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